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クルーズ旅行体験記
 
 

東地中海聖地クルーズ乗船記

プリンセスクルーズ ゴールデンプリンセス号11万トン
アテネ、パンテオンの夜景

歴史と聖地をめぐるクルーズ

IACE社のメルマガに魅力的なクルーズが破格の値段で提供されていた。プルマンツール社のゼニース号で、アテネを出港し、エジプト、イスラエル、キプロス、トルコを訪ねるものだ。1週間でヨーロッパ、アフリカ、アジアの3大陸を回ることになるが、この地域は数千年前から古代文明が交流し、その後もヘレニズム、ビザンティン、オスマントルコ、近代西欧の文明が地層のように重なり合い、支配者は変わっても独自性を失わなかった諸民族と複雑な歴史模様を織りなしている。またこのクルーズはHOLLYLAND(聖地)と名付けられていたが、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地であるエルサレム訪問をハイライトとしたものでもあった。

乗船までの4日間をアテネで過ごし、遺跡と博物館巡りを楽しんだ。ギリシャは政情不安が懸念されていたが、街は清潔でごみ一つ落ちていない。野良犬が大事にされ約2千頭が街や遺跡に寝そべっているのにその糞さえ見当らない。物価は安く、食べ物も美味しかった。11月からはシーズンオフで、ホテルも大幅に値下がりしていたが、今年はまだ夏、晴天が続き、気温も30度近くまで上がった。持参したセーターやコートはムダになったが。うすら寒い曇天が続くよりも幸せだった。


スパニッシュシップ

予約した船室は、救命用のボートに視界が遮られるパーシャルビューだったが、アウトサイドにアップグレードされていた。右舷側だから左回りに回るこのクルーズでは陸地が見える方なのも嬉しい。

定員は満たせなかったようで夕食は1部制だった。ドレスコードは通常の3段階のほか、ヒッピーやトロピカルという日もあったが、皆名称にとらわれずお洒落を楽しんでいる。この船はオールインクルーシブ制で、特別な注文でなければワインやビールは無料になっている。酒飲み天国のようだが、へべれけになる者はおらず、皆ほど良く楽しんでいる。食後にはコーヒーや紅茶は出ず代わりにバーに移る。バーは3か所あり、メニューに赤い印の付いた飲み物が無料。ミネラルウオーターのボトルも惜しげなくくれる。
万事、夜更かし型で、ディナーは20時45分から、ショーの開始は23時、0時過ぎに始まるイベントも多かった。ショーは、毎夜、同じタレントが取り仕切っていた。これまでに乗った船では司会者が数ヶ国語を用いていたが、この船では全てスペイン語。歌や踊りの時はいいが、トークショーになるとお手上げだ。
寄港地でもスパニッシュシップといわれていた。レセプションにある時計も、出港地のアテネのほかはマドリッド、アカプルコ、ブエノスアイレスの時刻を指している。約600人の乗客の大部分はスペイン語圏の客だ。日本人は私達夫婦だけ。ただし、スペイン系の人達は陽気で気さくですぐ仲良くなれる。ブエノス・ディアスと挨拶すると、コンニチハと日本語で返してくれる人も多い。

2日目はat sea。右舷側にクレタ島が見える。いつかは訪れたいが、今回は遠望だけで満足する。一日洋上というと余裕がありそうだが、乗船時に預けたパスポートの返却や避難訓練などがあり、船内の探検などをしていると、あっという間に一日が過ぎてしまう。寄港地ツアーの英語の説明会もあったが、参加者僅か30人程度だった。
地中海に沈む夕日を鑑賞した後、船長主催のカクテルパーティーがあった。入口で船長と記念撮影後、劇場に案内される。立食パーティーではなく、カクテルが配られ、舞台で繰り広げられる歌や踊りを見物するのだ。客も何組か踊っている。幹部の紹介もあった。船長はイタリア人、各部門のマネージャー達はスペイン人、ルーマニア人、ポルトガル人、フィリピン人等多彩である。

アレキサンドリアの図書館

古都アレキサンドリア

3日目の早朝、アレキサンドリアに着いた。船は乗客を降ろした後、ポートサイドに回航する。大部分の客はカイロを観光するようだ。私達はアレキサンドリアの英語ツアーを申し込んだが成立しなかった。自由行動をしようにも、アレキサンドリア・ポートサイド間を直接結ぶ鉄道はない。やむを得ずスペイン語のツアーに参加した。
この街はエジプトのプトレマイオス朝の古都で、ヘレニズム文化の中心地だったはずだが、当時を偲ばせる遺跡はなく、地中海に面し大きな建物が並ぶたたずまいは植民都市風だ。ツアーが訪れたのはモンタザ宮殿、カタコンベ(地下墓地)、国立博物館など。博物館には海中から発見された彫像や壺などもあり、僅かにクレオパトラの昔を偲ばせる。

圧巻は昼食後に訪れた図書館。2千年の昔、世界最大・最高で、ユークリッドやアルキメデスなども学んだという図書館を現代によみがえらせようというもので、太陽やピラミッドをモティーフにした斬新な建物の中に、広い吹き抜けをもった何層にも及ぶ閲覧室が広がる。デジタルアーカイブもユニークで、絵本を繰るように目的の文献にヒットするようにできている。ただ昔の図書館を偲ばせるのは博物館に保存されたモザイク程度だった。
ポートサイドへ向かったのは日没の後で、ナイルデルタの風景は見ることができなかった。3時間以上の移動中、終始パトカーがサイレンを鳴らして護衛してくれた。



俗に飲まれたエルサレム

どんな事情があったのか、ゼニース号はポートサイドを2時間以上遅れて出港した。船という乗り物は遅れを取り戻せないらしく、第4日イスラエルのアシュドット入港は10時を大きく回っていた。それからイスラエルの係員が乗船して来て丁寧に入国審査をする。パスポートにイスラエルのスタンプが押されると、イスラム諸国に入国を拒否されることがあるので、グリーンカードという別の書類に判が押される。

エルサレム、岩のドームと嘆きの壁


ツアーに参加しなかったため、早めに行列して審査を終え真っ先に入国できた。早速タクシーの運ちゃんに取り囲まれる。アシュドットは市街地から数キロ離れた大きな工業港なので歩くわけには行かれない。バスセンターまで20ドルということでタクシーに乗り込む。運ちゃんは300ドル出せば、エルサレムとベツレヘムを全て案内すると誘うが、やはり旅行は自分の足でしたい。バスで行くのは難しいぞと脅されたが、イスラエルは2度目だと嘘をついたらおとなしくなった。

この街はガイドブックにも載っておらず、勝手が全く分からない。紛争地域のガザ地区と隣合わせだがそんな影はどこにもなく、アメリカの地方都市のような大ざっぱな造りだ。バスセンターはショッピングセンターの3階にあったが、まず現地通貨のシェケルが必要だ。CDは方々にあるが、いずれもキャッシングができない。聞いて見ると大きな交差点の先の銀行へ行けという。やっと見つけた銀行でキャッシングができたが、イスラエルは先進国で移民も多いという先入観があっただけに少々意外だった。
バスはすぐに出た。切符売り場を探していると、自分もエルサレムに行くという中年婦人がバスの中で買えると親切に教えてくれた。2人往復で67シェケル(約1,600円)、片道約1時間半の旅だ。終点はエルサレムの新市街で、旧市街へは市内バスに乗り換えて行くが、その都度荷物検査がある。

旧市街のヤッフォ門に着くともう13時を過ぎていた。船が定時に着いていたらオリーブ山に登って展望を楽しんだ後、ベッセマネの園を通って旧市街に入る予定だったが、この部分を省略することとした。無料のガイドツアーが10数人の客を率いて出発するところで参加を呼び掛けられたので、とりあえずついて行った。ダビデの塔には登らず、アルメニア人地区を丁寧に説明する。ガイドブックにない路地、嘆きの壁の向こうに金色の岩のドームが光る展望ポイントなどを案内してくれたが、このペースで進むと時間がなくなる。ガイドに礼を言って別れ、ユダヤ人地区、嘆きの壁を通り、イエスが十字架を背負って歩いたヴィアドロローサを辿り、ゴルゴダの丘に建てられた聖墳墓教会を訪れた。

ユダヤ人地区も、イスラム教徒地区もキリスト教徒地区も、軒を並べる土産物屋で渾然と一体になっており、昔の江ノ島のように猥雑で、俗に呑みこまれた聖という印象だった。ヴィアドロローサでは十字架をかついで、途中のステーションごとに讃美歌を歌って歩く一団に会ったが、彼らとて敬虔な祈りというよりはパフォーマンスを楽しんでいるような雰囲気があった。
ここでタイムアップ。帰りを急いだ。新市街の横町にはショッピング街があり、家内が残念そうな顔をしている。帰りのバスでは、昼間の中年婦人とまた一緒になった。

ハイファとアッコ

5日目、ハイファには定刻の8時前に入港した。サンフランシスコに似た坂の町といわれるが、海岸からすぐに急な坂が始まり、高さももっと高い。
下船すると、港は中央駅の前だった。隣町の古都アッコへ行く列車がすぐにあったので、迷わずに乗ってしまった。列車は見かけは汚ないが中は広々として快適だ。男女の兵士が数人乗っている。公務と思えないのんびりした雰囲気だが、各自銃を持っている。
約30分でアッコ着。海に突き出し城壁に囲まれた旧市街に着くと、まずは青い屋根の大きなモスクに敬意を表した。内装も美しく見とれてしまう。この街はその昔十字軍の根拠地で、一時はイスラエル王国の首都で、旧市街は世界遺産になっている。十字軍の町はその遺構で、地下に広大な広間や礼拝堂、病院などがある。近くには近年発見された長いトンネルもあって、オスマン時代のハマム(大浴場)などとともに共通入場券で入れる。当時の技術力で地下に巨大な町を造ったエネルギーに驚く。近年はアラブ系の住民が多いそうだが、ユダヤ国家内のイスラム教徒の町でキリスト教の遺跡が観光資源になっていることに歴史の皮肉を感じた。

昼食は現地料理。黒板に書かれたメニューを見ても内容が分からない。
アッコ、十字軍の町
ハイファ、バハ―イ教庭園
オヤジさんのお勧めの皿にコーヒーを飲んだら二人分で45シェケル。千円でおつりが来た計算だ。

駅に戻って重大なミスに気づいた。朝の列車が頻繁にあったことに油断して、帰りの列車を確認していなかったのだ。午後2時過ぎというのに、ハイファ方面への最終列車は出てしまったという。金曜日はイスラム教の安息日だからだろうか。
すかさずタクシーの運ちゃん達がやって来る。ハイファまで50ユーロだ、50ドルだとセリをやっているうちに40ドルで行くよという若者が現れた。

彼は大の日本ファンらしく、道中、日本のことを絶賛し世界の頭脳だとまで持ち上げる。単なるお世辞でない証拠には、約束した港まででなくどこへでも行くという。
まだ日は高い。イスラム教の分派であるバハ―イ教の庭園を見下す展望台で下車し、付近にある美術館等を訪れ、カルメリットと呼ばれる地下のケーブルカーで町に戻ろうと考えた。彼は庭園の下の入口で車を止め、門番に確認した上で展望台まで上がった。しばらく眺めを楽しんだら船まで送るよといってくれたが、深く考えずに40ドルとお礼の20シェケルを渡して別れた。

バハ―イ庭園は地中海に面した広大な斜面を利用して何段階にもわたって緑の植栽とアンツーカの赤い地面がモザイク模様を形成し、その中に花々が乱れ咲く壮大な庭園だ。船内の資料によれば世界遺産に指定されているとのこと。その真ん中辺りに円筒形をした教祖の霊廟がある。庭園の向うは傾斜が緩やかな高級住宅地。海岸線を取り巻くように道路と鉄道が走りその向うが港で、わがゼニース号も見える。庭園に入るには予約が必要だそうで、入園している人は僅か。大多数の人は展望台から眺めを楽しんでいる。

タクシーの運転手と名乗る男が近寄って来て、あちこち案内した後に好きなところへ送るよとささやく。近くの美術館等を訪ねるつもりだというと、カルメリットを含めて全て休みだという。ガイドブックに当たると嘘ではない。乗って来た車を帰したのは失敗だった。ポケットには入館料や乗車賃用に残しておいた小銭が100シェケルほど入っている。それらを渡して案内を頼めば良かったが、出港までには十分時間がある。歩いて行くよというと、5キロあるぞと脅す。いつもそのくらいは散歩しているし下り一方だ。犬も歩けば棒に当たるで、何か面白いものに出会えるかも知れないと歩き出した。

道は大きなS字型のカーブを繰り返す。途中にまっすぐ降りる階段やリフトもあるが、個人用らしく下まで通じてはいなそうだ。結局、流しのタクシーを拾って町へ降りた。港まで行かなかったのは途中で土産を買いたかったからだが、お店は飲食店を除いて見事に閉まっていた。コンビニもキオスクもない。ポートサイドでは船のそばに露店が出ていたが、そういう期待も裏切られた。結局、アイスクリームを食べただけでイスラエルの土産は買えず、50シェケルほど残ったコインは記念品になってしまった。

現代美術館に行けなかった家内は、午前中にハイファを回れば良かったと残念がるが、そうしたら午後のアッコで十字軍の町などをゆっくり見れたかどうか分からない。船の日程の策定は難しそうだが、金曜日のハイファ寄港はあまり好ましくなさそうだ。もっとも、だからこそ都心の岸壁に接岸できたのかも知れない。


リマソルとマルマリス

第6日はキプロスのリマソル。到着は8時、all onbord(全員乗船時間)は13時半だから、あまり余裕はない。首都のニコシアへ行くツアーに参加することも検討したが、リマソルも見たい。というわけでまたしても自由行動。しかし、結果的にはこの街にはそれほど見所はなかった。城と各種の博物館、海沿いの公園程度で、商店街もパッとしない。それでも家内は街はずれの店でアンティーク風のアクセサリーをゲットして喜んでいる。 カテドラルの隣りのモスクを覗いたら、イスラム僧らしい男が手招きして入れと勧める。遠慮がちに靴を脱ぎメッカを向いた祭壇に一礼すると、さして魅力的でもない内部の写真を撮れ撮れと勧め、私達のツーショットまで撮ってくれた。これは怪しいぞと思ったら、案の定ドネーションの箱に入れようとした手を押しとどめ、金は自分に直接渡せという。それも5ユーロと金額まで口走る。そんなことはどこにも書いてないし、こうなると聖職者かどうかも怪しい。手の中の2ユーロを渡したらぶつぶつ言っていたが、インシャラ―といって立ち去った。  
キプロス、リマソル海岸
キプロスで驚いたのはわが国と同じ左側通行だ。周辺の諸国が全て右側通行なのにイギリス領時代からの孤塁を守っているのは車による交流が少ないからだろうか。
翌日を含め、最後の二日間は寄港地観光よりクルーズを楽しむ日だ。右手のキプロスの島影がだんだん遠ざかる。この日の夕日は途中から雲の間に沈んでしまった。

第7日目は、目覚めると入江を走っていた。登りかけた朝日が静かな海面を光らせている。寄港地のマルマリスはその奥、小さな港町と想像していたが、数百隻のクルーザーが集まるマリーナを含む大きなリゾートだった。白い壁と色とりどりの屋根の家はいかにもエーゲ海風だ。ギリシャのロードス島とは目と鼻の先で船便もある。ロードス島はキリスト教騎士団の根拠地としても知られているが、マルマリスはイスラム側の最前線だったのだろうか。そういえば城壁も残っている。


ゼニース号が接岸した岸壁と町の間はほんの一跨ぎの距離だが、ヨットハーバーに通じる水路で隔てられているので、その周辺を大きく迂回しなければならない。例によってタクシーがダウンタウンまで7ユーロなどと呼びかけるが、その傍らにcity cennterと矢印で示した案内板があるので、乗客はほとんど歩いている。お洒落なショップやレストランの間を抜けて行く道は、どこかドバイのリゾートショッピングセンターを思い出させる。

約15分程度のそぞろ歩きで、町に辿りつく。左手の浜は遠浅の海水浴場のようだが今は静かだ。右手はオールドタウンで、縦横にアーケードが続くショッピング街になっている。船のレセプションで貰った地図にはその記載がなく、代わりに町の中心にopen air marketと大書してある。あちこちで聞いて訪ねると、何と魚や野菜の大きな市場で旅行者には縁のないところだった。どうもクルーズ船の情報はあてにならない。
オールドタウンに引き返して土産物屋を冷やかす。トルコは物価が安いので、最後に寄港するにはいいところだ。さしたる史跡も博物館もなく、ゆっくりとぶらぶら歩く日もゆとりがあっていい。

出港は午後3時。マルマリスの町が船の吐き出す灰色の煙の向うに霞んで行く。左右には白い断崖が海に落ち、雲間から後光のような光の束がその上に落ちる。すれ違うモータボートから手を振る人がいる。亀のような形をした島も見える。陸地を間近に見る昼間のクルーズは今回の旅では初めてだが気分爽快である。右手に大きく突きだした半島を迂回した頃、夕闇は濃くなり、左手にかすかにロードス島の灯が見えた。

ゼニース号とマルマリスの港


最後のディナーは、さっきまで給仕をしていたクルーが列を作って乱入し、どんちゃん騒ぎになった。ノリが良い客が多く、手を振ったり一緒に踊り出す人もいる。スタイルも服装も素敵で軽やかなステップを踏んでいるご婦人に見とれて近寄ると、かなりのご年配で二度驚く。クルーに握手して礼をいう。

翌朝ピレウス着。船室のチェックアウトは8時だが、手荷物は船内で夕方まで預かって貰えるし、レストランやバーは昼まで使える。一旦外出して町を見物し、船に戻って最後のコーヒーを飲んだ。船はこの後南米に向かうという。サンパウロ出身だというウエイトレスに別れの言葉をかけ、郷里に帰れて良いですねといったら、でも仕事ですからという。最後の別れは慌ただしく、顔見知りになった多くの人達と挨拶し損なった。

タクシーの勧誘を振り切って、さっき乗ったばかりのホップオン、ホップオフのトレイン型のオープンバスに乗って二つ目の停留場で降り、空港行きのバスに乗った。この方法だとトレインバスがピレウスの町の見物付きで5ユーロ+3、2ユーロで空港に行ける。ギリシャの人達は親切で、空港行きはX96番だ、すぐに来る、切符はあそこで買え、いやバスの中でも買えるなどと、既に調べ済みのことを丁寧に教えてくれる。バスはアテネを経由せず、アポロン海岸に沿って南下し、やがて左折して空港に向かった。右手に見える海は今朝通ったこのクルーズ最後の花道だ。

あっという間の8日間、アテネ滞在を含めて12日間の旅が終わった。クルーズライフを楽しむにはスペイン語の壁があったとはいえ、船を動くホテルと割り切れば、こんなにバラエティーに富み、コストパフォーマンスの良い旅は珍しかった。こういうクルーズを紹介してくれたIACE社に改めてお礼を申し上げたい。



神奈川県在住 K.I様より